株式会社吉田喜はたまご焼き(玉子焼き)、だし巻き、伊達巻き製品の食品メーカーです。

たまご研究室

生みの親、鶏編

起源と歴史

鶏の写真鶏の祖先は、東南アジアの熱帯圏に生息している赤色野鶏(Gallus gallus)が飼い慣らされたものだといわれ、それがインド、ミャンマー、マレー地方から東西へひろがっていったと考えられています。鶏が日本へ渡来したのは約2,000年前といわれており、中国大陸から朝鮮半島を経て渡来したものが主流でした。当時、鶏を食用としたという記録はなく、神の遣いとして崇められていたようです。その後、平安時代から江戸時代の初期にかけて中国大陸や東南アジアから新しい品種が入り、江戸時代にはこれらを基礎鶏にして日本系の品種が数多く完成。闘鶏、愛がんなどの目的でひろく飼育されるようになりました。

卵からひなへ

卵が孵化するためには、その卵が受精卵でなくてはいけません。一般に受精卵は種卵といわれており、この種卵に一定の温度、湿度を与えると胚が発育します。まず胚盤が大きくなり、内胚葉、外胚葉、中胚葉が分化。時間の経過とともに、神経、血管、骨格、脳、呼吸器、循環器など様々な器官が発育していきます。そして、胚盤が増大しはじめてから21日までに各器官の発達が終わり、ひなは自力で卵の鈍端部に近い卵殻をくちばしの先で破り、最後にからだで強く卵殻を押し破って孵化します。

ひなから鶏へ

たまごの写真ひなは飼育管理のうえで、幼びな期、中びな期、大びな期に分けられています。幼びな期は0週齢~4週齢、中びな期は4週齢~10週齢、大びな期は10週 齢~20週齢となります。大びな期には成鶏としての骨格がほぼ完成し、性成熟がすすむため、急にメスらしくなったりもします。そして産卵をはじめたときから成鶏となります。初産日齢は遺伝的形質と栄養状態によって差があり、また産卵の持続性にも影響します。初産日齢があまりにもはやいと、からだが十分に成熟していないため、産卵の持続期間が短くなるのです。

鶏から卵へ

メスの鶏の生殖器は、卵巣と卵管からなり、腹腔の左側に位置しています。産卵中の鶏の卵巣には、卵子の前駆細胞である卵母細胞を包み込んだ1mm~35mmくらいまでの大小さまざまな黄白色球状の卵胞が多数存在し、ブドウのふさのような形をしています。これらの卵胞が成熟すると外側の膜が破れ、中の卵子(卵黄)が排卵されて卵管に入ります。卵管に入った卵黄は卵白分泌部で卵白の分泌を受け、峡部で卵殻膜が形成され、子宮部でカルシウムの分泌を受けて卵殻が形成されます。以上のようにして形成された卵は膣部を通り総排泄腔から放卵されます。排卵から放卵までの所要時間は24時間~27時間とされています。

鶏卵編

鶏卵の歴史について

鶏の写真卵がいつ頃から食べられていたかということは今のところよくわかっていませんが、鶏の飼育がはじまったときとも考えられています。しかし日本では、信仰的な見地から卵はあまり食べられていなかったようです。日本で卵が食べられるようになったのは安土桃山時代で、南蛮菓子の渡来とともに、その材料として卵が使用されるようになりました。南蛮菓子の代表的なものには、カステラ、ボーロなどがあり、それらが日本でも作られるようになってから、鶏卵も多く使用されるようになりました。
江戸時代に入ると、徳川将軍の日常の食事に鶏卵が使われはじめました。例えば、朝食の一の善には『落とし卵のみそ汁』二の膳には『卵焼きに干海苔を巻いたお外の物』などが出されていたようです。江戸時代後期には、卵の入った海苔巻や卵焼きもでてきましたが、卵が一般に普及したのは明治以降になってからです。

卵の構造

卵は優れた組織構造と機能成分を有しており、胚の発生からひなが孵化するまでの期間、鶏卵では約2週間、外部からの物理的傷害や生物的侵略を阻止してひなの形成を促します。鶏卵などの鳥卵は、ほぼすべての栄養素を満たした完全食品でもあり、特別な処理をすることなく長期保存ができることや、食品加工上様々な優れた特性を持っています。

殻付卵の構造

ひよこの写真殻付鶏卵の重さは鶏の品種や年齢などによって大きく変動しますが、一般的には55g~60gのものが市場で流通しています。殻付卵は卵殻部、卵白部、卵黄部に大別され、それぞれ卵重量の約10%、60%、30%を占めています。

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